先週末はルワンダは祝日で4連休だったので、1人旅をした。(写真や旅の内容はまた別途アップします。)かなり久しぶりの1人旅であるが、いつも大事にしているのは、移動中や食事中にパートナーとなる本と映画である。普段なかなか鑑賞する時間をまとまって取れないのでかなり楽しみにしていた。特に映画は、ルワンダはネットの環境が安定しないので、「観よう」と思いたっても、ダウンロードするのに1日かかってしまうので、億劫になりがちである。しかし今回は滞在先が南アフリカであったので、思い立った映画をすぐ見ることができ、一時的に映画熱が高まった。

結局映画は4日で4本見たが、うち2本はOliver StoneのWall Streetシリーズを2日続けて観た。この映画は1作目が1987年、2作目が2010年に公開されている。続編が20年以上経って公開されるのはかなり珍しい。実際にOliver Stone自身も続編を作るつもりはなかったようであるが、2008年のリーマンショックを経ていてもたってもいられなくなり、しかたなく制作したようである。これを可能にしたのは、1作目のヒットもあるが、Oliver StoneとMichael Douglasが20年以上経っても映画界で確固たる地位を維持し続けたことが大きいと思う。この作品のファンとしては感謝するばかりである。

1作目、2作目ともに初めて観たときのことをよく覚えている。1作目を初めて観たのは2007年のBoston留学時代。大学のアメリカの文化を学ぶ授業でアメリカの資本主義の構造を考える題材として観せられた。この映画を観た翌年の2008年、留学から帰国した直後にリーマンショックが起こり、この作品の存在がさらに自分の中で大きくなった。2作目は、大学を卒業して商社に就職した2010年。民間企業に勤めるにあたって、もう一度あのGordon Gekko先生に資本主義経済、利益至上主義経済について考える機会をもらおうと思い、劇場に足を運んだ。

上記の通り、それぞれ単独で観たことはあったが、今回初めて2作品を続けて観て、20年の間での金融での変化を感じることができおもしろかった。以下、特に気になった変化を挙げる。

 

<変化1: 主人公の人間モデルの変化、Wall Streetの新しい人間モデルの誕生。>

1作目は、主人公が二律背反する①利益/金と②社会的意義/実働の2つの異なる世界観の中で振り回され、葛藤する様子が描かれている。この二律背反の構造は1作目の作品全体を通して描かれる。作品の合間、合間で、カネがカネを生むという実態のない世界で利益を独占する投資家の横でビーチや工場で働くブルーカラーの労働者の様子が描かれる。作品のストーリーも、やる気に満ち溢れた証券会社の若手社員であるBudd Foxが、航空会社の整備工の父親から会社の内部情報を聞き、冷徹で利益至上主義の投資家、Gordon Gekkoにその内部情報を伝えてGordonから信頼を得ることで、大金を手に入れBuddの人生観が変わっていくというものである。もともと純粋でまっすぐで野心家の性格のBuddはあっという間にGordonの価値観に染められていく。高級品を好み、ブロンドの女性を恋人にし、同じ会社の同僚を見下す。BuddはGordonの金で父親の勤める航空会社の買収し、労働組合をうまくまとめて再建をしようとするが、Gordonにそのような気は毛頭なく会社をすぐに解体して会社の現金を吸いつくす魂胆であった。Gordonの本性に気づいたBuddは自分を見つめなおしGordonとの対立を選ぶが、時すでに遅しで最終的にインサイダー取引で逮捕されるというものだ。

一方、2作目の主人公は違う。投資銀行に勤め、将来的に自然エネルギーの産業でのキャリアを夢見ながら、婚約者との幸せな未来を築くためのお金も求める。プロの証券マンとしてのプライド、金融を使い未来の産業を育てるという倫理観をもっており、1作目で対立し共存しえなかった2つの価値観をこの倫理観によって共存を可能にさせているという描き方である。婚約者はインターネットを媒体にしたリベラルなジャーナリスト(Gordonの娘なのだが)であり、髪型もブロンドではなくショートカット。1作目のWall Streetの世界では決して出会うことのない2人である。主人公を通してWall Streetで働く「若者像」の変化を感じさせる。

この変化は20年の間のブラックマンデー、90年代後半に起きたアジア通貨危機などの金融危機の教訓を経て作られた新しい人間像と言える。このような新たな人間モデルがWall Streetで生まれているにも関わらず、新たな金融危機(リーマンショック)が起こる。この金融危機を引き起こしたのは、このような新しい人間モデルの主人公ではなく、1作目のような古い二律背反の世界観の中で、倫理観を持たず利己主義に走った古い人間であるというのが、Oliver Stoneのメッセージなのであると思う。自分の個人的な解釈にすぎないが、「若者は過去の教訓を経て生まれ変わっているのに、懲りないおっさんがまたいらんことをしたのがリーマンショック」というのがメッセージなんじゃないかと思う。

この人間モデルの変化を示す象徴的なシーンがある。作品中に主人公がこの2作目の悪者(=懲りないおっさん)に”What’s your number?”と問いかける。質問の意図がわからない悪者に対して、主人公は、「ほらあの数字だよ。こんだけ稼いだら引退するっていうWall Streetで働くやつらみんながいつも頭にある数字だよ」と諭すが、悪者は怪訝そうな顔をして”More”と答える。

 

<変化2: 日本の立ち位置>

これはこの作品に限った話ではないが、1980年代から1990年代前半のハリウッド映画、特にWall Streetのように金融やビジネスをテーマにした作品には、日本の世界経済に対する存在の大きさを感じさせるシーンがある。よく例に出される話であるが、Back to the Future 2 (1987) の未来の世界では、アメリカ人の主人公は中年となり、日本人の上司にクビを言い渡される。またPretty Woman (1990)では、ビバリーヒルズのブティック、高級ホテルで日本人が闊歩し、アメリカ人のホテルマンは日本語で丁寧に宿泊客に対応する。このWall Streetの1作目でも、成り上がりの証券マンの主人公が大金を手にし、マンハッタンの高級アパートに移り住んだあと成功の証として最初に口にする食事は寿司である。しかし、Wall Streetの20年近く経た、2作目ではアジアの主役は変わっている。投資銀行に勤める主人公が資金調達先として交渉をする手ごわい交渉先は中国の会社となっており、主人公が最初に勤めていた証券会社で、金融への情熱をなくした社長があげる取引先はムンバイである。リーマンショックをモチーフにした同様の金融危機が発生し、各金融機関のトップが集まり他国からの救済を検討するが、そこに日本の名前はなく、1980年代では考えられなかった「アラブ」という言葉が出てくる。日本の影は全くと言っていいほどない。

<変化3: メディアの在り方>

多少ネタバレになってしまうが、2作目の終盤、変化1でも述べた、悪者おじさんに主人公は裏切られる。追い詰められてどうしようもなくなった主人公は自分の正義のために、悪者おじさんのインサイダー取引を婚約者のネットメディアを使って告発する。この誰もがインターネットを使って自分の意見や主張ができ、世論を作る可能性を持つ時代インターネットの普及(いわゆるWeb 2.0 、この言葉すら久しぶりに使って恥ずかしいが。。。)になったというのが、1作目と2作目の20年での大きな変化であると感じさせる。変化1で述べた新しい人間モデルとともに、このメディアの民主化も懲りないおじさんたちを一掃する希望の光となるということなのだろうかと理解した。1作目と異なり、2作目の主人公はハッピーエンドで終わっており、全体のトーンとしても希望を残すような結末となっている。

 

 

長々書いたが、以上が2作品を見て感じた変化である。可能性は極めて低いが、もし、Oliver Stoneが2作目から20年経た、2027年に続編を作るとしたらどのような変化があるだろうか。今から10年後、全く想像できないが、現在メディアでも毎日のようにキーワードとして出てくるFintechの影響は必ずあると思う。Fintechにより金融という産業に対する参入障壁がさらに下がり、もはや金融のキープレーヤーはWall Streetの投資銀行でなくなっているかもしれない。そうなるとタイトルもWall Streetでないかもしれない。

また、この映画を改めて観て思ったが、金融危機は約10年の周期で起こっている。80年代後半のブラックマンデー、90年代後半のアジア通貨危機、2000年代のリーマンショック、こう考えると今年、来年あたりに同じような世界規模の金融危機が起こっても統計的にはおかしくない。現在のアメリカ、日本、EUの不安定さ、それらを端にした中東の断交、ロシアの立ち位置、北朝鮮の不審な行動などの世界情勢に目を向けると足音が近づいてる気がしなくもない。

 

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